三文オペラ
KAATにつくと、ロビーではP席に座る観客の当日稽古の真っ最中。
演出家があつく指導する背中越しに階段席に座って楽しく拝見した。
冒頭のモリタートが少々物足りない。
わざとそうしたのか、そうなってしまったのか。
P席のざわつきが、一般の観客の集中を阻害したのかもしれない。
ポリーの歌う「海賊ジェニー」あたりからようやく芝居は面白くなってくる。この曲には、女優の七難を隠す何かがある。
それから大砲ソング。ブラウン役は高橋和也さん。彼の歌声を聴くと小学生の頃を思い出すような同世代の観客も多いのだろうか。
そして、一幕のキリ。人が元気に生きるための秘密のバラードあたりでは当然盛り上がる。というか、自分で歌ったこともある歌なのに、こうやって改めて聴くと名曲すぎてびっくりする。
マックがカッコよく見えてくる後半。
この芝居でいちばん気になるのはやはり大団円をどうするか、だろう。
KAAT版も攻めてましたね。
あほらしいくらいの派手さの中に帰結。芝居を観る観客が減っている、耳に心地のいいものしか聞きたくない、嫌なものを観たくない、現代社会のそういう風潮を風刺する方向に。大楽だったのでダブルコールでしたが、スタンディングでダブルコールをしたい気持ちにまでは持っていかれなかったのが本音。
いや、ちょくぜんのマックの演説まではいい感じだったんですよ。
これはいままでにない、三文オペラになるのでは、と期待していたんですが…。
あの終わり方で、白井さん、久しぶりに歌っているのを聞きましたが、お上手ですね…という感想しか残らなくなってしまった。
難しいなあもう!
クルト・ヴァイル天才だなあ!
ああもう!
大団円の台詞を今一度記しておこう。
訓練で使っていたので、そらで言えるのだ。
「尊敬すべき観客諸君、わたしたちは、ようやくここまでやってきました。マックヒース氏は今や首をくくられんとしています。なぜならキリスト教の世界においては、人間には何物も許されてはいないのです。
だからといって、あなた方は考えないでいていいでしょうか。それには我々もまた参加しているのです。マックヒースが首をくくられるのではなくして、わたしたちは別の解決を考え出したのです。
それがためにこのオペラにおいては、少なくとも、慈悲が裁判に対してどのように発せられるかを、みなさんはご覧になるのです。それというのも、わたしたちがみなさんに好意を寄せているからです。やがて馬に乗った王の使者が現れるでしょう。」
(杉山誠訳)
溝の口劇場、ノクチカ
レセプションに顔を出す。
そりゃ、カワサキで10年近く芝居やっていれば、知り合いの知り合いくらいはすぐにつながるもので、すぐに中の人と話が通じる。
さらに、Unico仲間の芸人アップダウンの二人がネタをやっていたり。
とてもアットホームな気持ちになれた。
いいところだなあ、溝の口。
グリーンバード溝の口チームのリーダーも来ていて、色々話をうかがう。街をつくるのは「大家のマインド」なんだとか。コスギは発展途上だから、成熟して劇場ができるまでにはちょっと時間がかかりそうだけれど、きっと心のある大家さんもいるはずだよね、そうだよね?(笑)
で、そのあと彼が手掛けている「ノクチカ」に。
こちらもすごい。築90年の建物を見事にリノベーションした、お洒落なコワーキングスペース。「角の医院」と呼ばれていた産婦人科は、この街にたくさんの命を生み出した場所で、そこで生まれた方や、利用していた方が内見に来て、この建物を生かしてくれてうれしい、というようなことを言っていたとか。なんとも素敵な話です。
これが本当の「まちづくり」なのではないかな。あらたに何でも作ればいいわけではない。そこに住む人の思い出や歴史をゆるやかに残しながら、新しい時代のニーズに合うようにアダプトしていくこと。
そして本日、とても素敵な話を頂いた。
まだここに書くことはできないけれど、またきっと大きな一歩になる。ワクワクする。怖いけど、それより楽しみ。いまからあらゆる方面に想像が膨らむ。
ぜったい成功させる。
■
「オケハザマ」
久しぶりにスズナリへ。
下北沢自体がひさしぶり。カワサキに拠点を移してからというもの、シモキタっぽいものから確かに遠ざかっている。駅の変化についてはここで字数を使わない。
今日の演目は自分で選んではなかなか観に行かないもの。
それがいいのだ。
演劇人は自分で選んで観に行くもの自体にバイアスがかかっているのだから。
アングラ。
大学時代にはひとことで片づけられるそれに「で、それどんな芝居なのよ」と思っていたもの。今観るとその特徴がわかり過ぎてて、笑ってしまう。
面白いのだ。
見ている間には何も考えなくて良い。
そのほとんどは「異世界」へ連れて行ってくれる。
だがある程度大人になると、そのカタルシスに少し意地悪い「ちゃちゃ」が入る。
そこに浸れなくなったとき、地下から人は外に出るのだろう。
そしてそれは文化として残る。
あれも演出、これも演出。
演出、という作業が果てしなく遠い、広い、深いものに思える。
いや、単に時代を映す鏡なのかもしれない。
鏡になり切れるかどうか。
楽しく、飽きない2時間。技術を駆使した映像に、ポップな音楽、ところどころにちりばめられた現代を風刺する台詞。
ただ、ワクワク、ゾクゾクはしなかった。
それがなぜなのか。
考えている。
考えなくてはいけない。
「アングラ」という枠組みを踏みつけ、利用して日向に出ようとしていたかつてのアングラ演劇にはひどく心を揺さぶられたものなのだけれども。
今日の芝居の中にも「世代間の格差」はあった。
考えよう。
『オケハザマ』
作 しりあがり寿
脚本協力 竹内 佑(デス電所)
演出 流山児祥
演出協力 林 周一(風煉ダンス)
音楽 坂本弘道
塩野谷正幸
伊藤弘子
上田和弘
谷 宗和
甲津拓平
小林七緒
里美和彦
柏倉太郎
平野直美
坂井香奈美
武田智弘
山下直哉
荒木理恵
山丸りな
五島三四郎
佐原由美
森 諒介
星 美咲
竹本優希
橋口佳奈
山像かおり
井村タカオ(オペラシアターこんにゃく座)
成田 浬
勝俣美秋(劇団わらく)
水谷 悟(WGK)
眞藤ヒロシ
林 周一(風煉ダンス)
堀井政宏(風煉ダンス)
外波山流太(風煉ダンス)
女の夢
「しんしゃく源氏物語」
待つ女。
源氏物語の第6帖に出てくる、登場人物中最も印象的な女性、末摘花。
ベニバナのような赤鼻を持つ一途な姫君を、盟友池田真紀子が好演。
座組もとてもバランスが良く、安心して観ていられる。
鈴木さんの頃から上演されているSPACのレパートリー作品。(もちろん、出演俳優は違うが)
ラストシーン、待ち続けて、女房たちにも愛想をつかされてしまった不器用な姫君のもとへ、源氏の君がついにやってくる。
ここで、もしも姫が会うことを拒否したらこれは三島の描いた『サド侯爵夫人』の変奏曲になるのかもしれない、などと考える。
源氏物語では末摘花は幸せになるということは知っている。
本論はそこにはない。
女の幸せではなく、女の「夢」を描いた物語なのだ。
1月27日(土)19時~
静岡芸術劇場
姫:池田真紀子
少将:舘野百代
宰相:石井萠水(Aキャスト)/ながいさやこ(Bキャスト)
侍従:山本実幸
叔母:河村若菜
右近:大内智美
左近:ながいさやこ(Aキャスト)/石井萠水(Bキャスト)
(※Bキャストにて観劇)
水の精と、人間の男の物語
ルサルカ
ドヴォルザークによる三幕のオペラ。
波のように段になった舞台。日生劇場の壁を思い出す。そちらもきっと美しい舞台だったことでしょう。
人間の移ろいやすい情熱。
それと無縁の、冷たい水の中で生きる水の精。
人間を愛したがゆえに、水の精でも人間でもいられなくなってしまうルサルカ。
チェコには海はない。
代わりに森林の中に湛えられた湿地と沼。
ミュシャのスラブ叙事詩を観た時にも感じたが、一度海外で認められたアーティストが、自国のアイデンティティを民謡や民話などのなかに求め、創られた作品ならではの「強度」がある。
弦楽が美しいゆらぎとなって青い舞台を包む。
(全体に弦の存在感が非常に強いのだ)
一幕のアリア「月に寄せる歌」のはじまりのハープもとても印象的だった。
それにしてもなぜ、異類の愛を描く物語は常に女の方が人間ではないのだろう。
人間の浅はかさを描くのにそのほうが都合がいいのだろうか。
【公演詳細】
平成29年度(第72回)文化庁芸術祭賞優秀賞受賞作品 NISSAY OPERA 2017 オペラ『ルサルカ』(全3幕/原語チェコ語上演・日本語字幕付)
2018年1月27日(土)14:00開演 静岡市民文化会館 大ホール
指揮:山田和樹
演出:宮城 聰(SPAC)
合唱:東京混声合唱団
出演:竹多倫子、大槻孝志、妻屋秀和、与田朝子、秋本悠希、守谷由香、加藤宏隆、松原典子、梶田真未、池端歩、松原友
助演:赤松直美、黒須芯、小長谷勝彦、佐藤ゆず、大道無門優也、永井健二、坂東芙三次、若宮羊市(SPAC-静岡県舞台芸術センター)